前章では、AppleがARMアーキテクチャを使って自社設計のApple Siliconを作り上げ、 big.LITTLE的な高性能・高効率コアの組み合わせや統合メモリアーキテクチャ(UMA)を実現している様子を見てきました。 しかしここで一つ、素朴な疑問が浮かびます。なぜAppleはARMアーキテクチャを自由に使えるのに、 x86互換CPUを作れる会社はIntelとAMDくらいしかないのでしょうか。

この違いは技術力の差ではありません。命令セットアーキテクチャ(ISA)という「設計図の設計図」を 誰が所有し、誰にどんな条件でライセンスしているかという、経済とガバナンスの構造の違いです。 本章では、ARM・x86・RISC-Vという3つの命令セットの「支配構造」を、その裏にある企業史とともに掘り下げます。

ARMのライセンスビジネスモデル

ARM社自身は自らチップを製造しません。CPUアーキテクチャとコア設計を、Samsung・Apple・Microsoft・Qualcommなど1,000社を超えるパートナーにライセンスする、いわば「ファブレス設計IP企業」です。 収益の柱は大きく2本立てになっています。

収益源内容
ライセンス料契約時に支払う初期一時金。規模は100万〜1000万ドルにおよぶ
ロイヤリティ出荷されたチップの販売価格のおおむね1〜2%程度を継続的に受け取る

ライセンスの形態も一様ではなく、パートナー企業がARM設計にどこまで手を入れられるかによって大きく2種類に分かれます。

コアライセンスとアーキテクチャライセンス

ライセンス形態内容主な保有企業
コアライセンスCortex-Aシリーズなど、ARMが設計した既製のCPUコアをそのままSoCに組み込む権利。設計そのものの改変はできない多数の一般的なSoCベンダー
アーキテクチャライセンスARM ISAと互換性さえ保てば、CPUコアそのものを自社で独自設計できる権利Apple・Qualcomm・Samsung・NVIDIAなど

第7章で見たApple Siliconの独自コア設計は、まさにこのアーキテクチャライセンスによって可能になっています。 ARMの命令セット(ISA)とは互換性を保ちながら、内部のマイクロアーキテクチャは完全に自社設計する。 これがQualcommのOryon、SamsungのExynosカスタムコアなどにも共通する「カスタムコア」の作り方です。

ARM社の企業史 — SoftBank買収からIPO、そしてQualcomm訴訟

第6章では、1990年に「Acorn RISC Machine」から「Advanced RISC Machines」へ改称された経緯を見ました。 ここではその後、ARM社がどのような企業としての歴史を歩んできたかを年表で追います。

SoftBankがARMを買収

ソフトバンクグループが約320億ドルでARM社を買収し、非公開企業化した。

NVIDIAへの売却発表

SoftBankはARMのNVIDIAへの売却を発表するが、各国規制当局の反対に直面する。

NVIDIAへの売却が破談

独占禁止法上の懸念から各国の規制当局が承認せず、買収合意は解消された。

Qualcomm提訴

ARMは、QualcommによるNuvia買収後もアーキテクチャライセンス契約に反してNuvia由来のCPU設計を継続利用しているとして提訴した。

Nasdaqに上場

公開価格は上限の1株51ドルで、調達額は約52.2億ドル。SoftBankはIPO後も約90%の株式を保有し続けた。

Qualcomm訴訟で陪審評決

陪審はQualcommの完全勝訴を評決した。

訴訟の最終決着

デラウェア地裁判事が残る訴えを棄却し、ARMの再審請求も却下。Qualcommの完全勝訴で決着した。

この一連の経緯で特に興味深いのは、ARMほどのライセンスビジネスの中心にいる企業でさえ、 アーキテクチャライセンスの「守備範囲」を巡ってパートナー企業と法廷で争うことになった点です。 アーキテクチャライセンスは「ISA互換であれば自由に設計できる」という柔軟な権利である一方、 M&Aで取得した設計資産をどこまで契約範囲内で使い続けられるかという線引きは、必ずしも自明ではありません。

x86ライセンスの排他性 — なぜIntelとAMDしかいないのか

x86はもともとIntelが独自に開発したアーキテクチャです。ところが、当時の米政府調達には 「単一の供給元からしか調達できない部品を採用してはならない」というルールがあり、 Intelは政府向け販売を実現するために、AMDなどにx86設計をセカンドソースとしてライセンスした経緯があります。

この構造を決定的に変えたのが、AMDによる64bit拡張(x86-64、後のAMD64)の開発でした。 市場がAMDの64bit拡張仕様を事実上の標準として受け入れたため、Intelは自社の64bit拡張計画を転換し、 AMDのx86-64を採用せざるを得なくなります。この過程で両社は、互いの特許ポートフォリオを利用可能にする包括的・排他的なクロスライセンス契約を締結しました。

現在、x86アーキテクチャライセンスを保有しているのはIntel・AMD・VIA Technologies・DM&P Electronicsの4社のみで、 実際に最新の64bit設計を製造しているのはIntelとAMDだけという事実上の複占(duopoly)状態にあります。 例外的存在として、VIAと中国企業の合弁会社であるZhaoxin(2014年設立)が、 VIAの保有するライセンスに基づいてx86互換CPUを設計しています。

この複占構造を象徴する出来事が、2009年11月のIntel・AMD間の包括和解です。 両社は長年の特許・独占禁止法訴訟を和解させ、IntelはAMDに12.5億ドルを支払い、 5年間の新たなクロスライセンス契約を締結しました。技術の優劣だけでなく、法的な和解交渉そのものが x86というアーキテクチャの存続条件を規定しているわけです。

RISC-V Internationalの成り立ち — オープンという第三の道

ARMのライセンスモデル、x86の排他的複占構造とはまったく異なる第三の道を歩んでいるのがRISC-Vです。

UCバークレーで開発開始

Krste Asanović教授と大学院生Yunsup Lee、Andrew Watermanが、研究・教育用にシンプルでオープンな命令セットが必要だという動機から開発を始めた。

命令セット仕様を公開

命令セットの仕様がオープンソースとして公開された。

RISC-V Foundation設立

36の創立メンバーによって設立され、「命令セットは自由であるべき」という理念を掲げた。

Linux Foundationと提携

Linux Foundationとの提携により、オープンガバナンス団体としての体制を強化した。

スイスで法人化、RISC-V Internationalへ

地政学的中立性を確保するため本拠地をスイスに移し、「RISC-V International」として法人化した。

RISC-Vの理念は「命令セットは自由であるべき」という一点に集約されます。 ロイヤリティフリー・オープンライセンスの基盤を提供することで、企業規模を問わず誰もが独自の実装を構築できる。 ARMのようにライセンス料やロイヤリティを支払う必要も、x86のように排他的クロスライセンスの外側に立たされることもありません。

ガバナンスも会員主導・非営利組織という形を取っており、会員企業の代表からなる理事会と、 各ワーキンググループのリーダーからなる技術委員会の二層構造で意思決定を行っています。 2020年のスイス移転は、特定国の輸出規制や政治的影響を受けにくい中立的な立場を確保する狙いがあったとされています。

3つのガバナンスモデルの対比

ここまで見てきたARM・x86・RISC-Vの構造を、ガバナンスという観点で整理すると次のようになります。

観点ARMx86RISC-V
所有形態営利企業(ARM Holdings)が命令セットを保有Intelが開発、AMDと排他的クロスライセンス非営利団体(RISC-V International)が仕様を管理
収益モデルライセンス料+ロイヤリティ(販売価格の1〜2%程度)自社製造による収益(外部ライセンス収入は限定的)ロイヤリティフリー
新規参入のしやすさ対価を払えば1,000社超がライセンス可能排他条項により事実上IntelとAMDの複占誰でも自由に実装・商用化が可能
カスタム設計の自由度アーキテクチャライセンスで可能(Apple等)実質的に不可能(設計はIntel/AMDに限定)仕様レベルから自由にカスタマイズ可能
ガバナンス主体一企業(買収・IPOを経て株主構造が変化)2社間の私的契約会員主導の非営利組織(理事会+技術委員会)

この対比から見えてくるのは、「オープンかクローズドか」という単純な二分法ではなく、誰がリスクを取り、誰が対価を得る仕組みなのかという設計の違いです。 ARMは自ら製造リスクを取らずにIPライセンス収入で稼ぐモデル、x86は開発した2社だけで市場を守り切るモデル、 RISC-Vはロイヤリティを取らない代わりに参加者の裾野を最大化するモデルだと言えます。

半導体製造の分業構造 — ファブレスとファウンドリ

ARMやRISC-Vのような設計IPビジネスが成立する背景には、もう一つ重要な産業構造の変化があります。 それが「設計」と「製造」の分業です。

1987年、Morris Chang(張忠謀)氏は台湾でTSMCを設立し、 自社製品を持たず他社製品の製造のみに特化する「ピュアプレイ・ファウンドリ」モデルを世界で初めて確立しました。 このモデルにより、ARM・Qualcomm・NVIDIA・Appleといったファブレス設計企業は、 巨額の製造設備投資をせずに設計とイノベーションに専念できるようになり、 TSMCのようなファウンドリ企業は複数の顧客企業の需要をまとめることで製造の規模の経済を追求できるという、 相互補完的な分業関係が成立しました。

自社設計への回帰 — Apple・AMD・Intelの企業史

最後に、命令セットのライセンス構造という「土台」の上で、実際の企業がどう自社設計・復活の道を歩んできたかを振り返ります。

Apple — アーキテクチャライセンスを武器にした自社設計化

Appleは2008年、CPU設計会社P.A. Semi社を2.78億ドルで買収しました。 この買収でJim Kellerを含む約150名のエンジニアリングチームを獲得し、ARMと異例のアーキテクチャライセンス契約を締結します。2010年に初の自社設計チップ「A4」を投入し、2020年11月にはMac向けのApple Silicon「M1」を発表、2023年6月には全ラインナップの自社チップ移行を完了しました。第7章で見たApple Siliconの物語は、 この2008年のアーキテクチャライセンス取得から始まっていたわけです。

AMD — 「Zen」による復活劇

AMDは2011年の「Bulldozer」アーキテクチャの失敗によって長期低迷に陥り、 2015年頃には株価が1.60ドル前後まで落ち込みました。この苦境を延命させたのが、 PlayStation 4・Xbox One向けのカスタムSoC受注です。この受注で得た収益が、 Jim Keller主導によるクリーンシート設計「Zen」の開発資金を支えました。2017年、Ryzenシリーズの投入によってAMDは劇的な復活を遂げます。

Intel — IDM 2.0戦略への転換

2021年、CEOに就任したパット・ゲルシンガー氏は「IDM 2.0」戦略を発表しました。 これは自社製造・外部ファウンドリの活用・受託製造事業(Intel Foundry Services)という3本柱からなる戦略です。 その後2025年3月、Lip-Bu Tan氏がIntelのCEOに就任し、この転換の舵取りを引き継いでいます。

次章への橋渡し

本章では、ARM・x86・RISC-Vという3つの命令セットが、まったく異なる経済的・法的な支配構造の上に成り立っていることを見てきました。 ARMはライセンス収入で稼ぐIP企業として1,000社超にコアを供給し、x86はIntelとAMDの排他的クロスライセンスに守られた複占市場を維持し、 RISC-Vは非営利団体のもとでロイヤリティフリーの自由な実装を可能にしています。 そしてこの土台の上で、Apple・AMD・Intelという企業がそれぞれ異なる形で自社設計・事業モデルの転換を遂げてきました。

では、こうして異なるガバナンスのもとで発展してきたx86・ARM・RISC-Vは、 実際の性能・電力効率・市場シェアという観点でどれほどの差があるのでしょうか。 次の第9章では、PC・サーバー・モバイルという市場別のシェア、AWS GravitonのようなクラウドベンダーによるArm自社設計チップの台頭、 そしてベンチマークを正しく読み解くための注意点に踏み込んでいきます。

理解度チェック

問題 0 / 50%
Q1

AppleやQualcomm、NVIDIAなどがARM ISAと互換性を保ちながら独自にCPUコアを設計する際に必要となるライセンス形態はどれですか?

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