機能マップには「歴史の地層」がある

第1章で描いた8機能の機能マップは、誰かがある日ホワイトボードに書いた設計図ではありません。 120年以上にわたる労働と経営の歴史の中で、問題が起きるたびに機能が追加・分化されてきた地層です。 なぜ「評価」と「報酬」は別機能なのか。なぜ日本には「配置」と「代謝」があるのか。 地層を掘ると、機能マップが雇用システムの構造に規定されていることが見えてきます。

海外の理論史 — 「管理事務」から「戦略機能」へ

科学的管理法 — 職務分析と評価の祖型(1900s〜1910s)

出発点は Frederick Taylor の科学的管理法(Scientific Management)です。 作業を系統的に分析・標準化・分業することで効率を追求するこのアプローチは、 今日の職務分析(job analysis)と人事評価(performance appraisal)技法の先駆けとなりました。 ただしこの時代の「人事」は、記録管理・給与計算・法令遵守などの管理事務が中心で、 従業員の育成やエンゲージメントという発想はまだありません。

ホーソン実験 — 人間関係論への転換(1920s〜1930s)

転換点は、Elton Mayo らが Western Electric 社ホーソン工場で約9年にわたり実施したホーソン実験です。 照明などの物理的作業条件よりも、社会的・心理的要因(注目されること、集団の規範)が生産性に影響することを示し、 人間関係運動(Human Relations Movement)の起点となりました。 テイラーの「機械的人間観」から「社会的人間観」への転換であり、 後の組織開発(OD)やエンゲージメントという機能の源流がここにあります。

HRMの登場と1984年の機能体系化

「Human Resource Management(人的資源管理)」という用語が普及するのは1970〜80年代です。 人を「管理すべきコスト」ではなく「開発すべき資源」と捉え直す戦略的シフトを反映しています。 そして1984年、機能マップの直接の原型となる2つのモデルが同時に世に出ます。

  • ミシガンモデル(Fombrun, Tichy & Devanna『Strategic Human Resource Management』): 人事機能を Selection(選抜)→ Appraisal(評価)→ Rewards(報酬)→ Development(育成)の 4機能サイクル(人的資源サイクル)として定式化。「採用・評価・報酬・育成」という機能分解の直接の原型です。
  • ハーバードモデル(Beer et al.『Managing Human Assets』): ステークホルダー(従業員・株主・組合・政府・地域社会)と状況要因を考慮した全体論的モデル。 人事を「施策の集合」ではなく「統合システム」として捉えた最初期のモデルです。

さらに1992年には John Storey が人事管理(PM)とHRMの相違を27項目で整理し、 「規則と手続きの官僚的管理(PM)」から「コミットメントを引き出す戦略機能(HRM)」への転換を明確にしました。 1997年の Dave Ulrich『Human Resource Champions』(4役割モデル、第6章で詳述)で、 「人事=戦略パートナー」という現代的な人事像が確立します。両モデルの詳細は第3章で扱います。

日本の人事部史 — 集権人事の成立と動揺

誕生 — 間接管理から直接管理へ(明治後期〜大正期)

日本企業の人事部は明治後期〜大正期に誕生しました。それ以前の工場では、 採用も賃金も現場の職工長(親方)に一任する間接管理が普通でした。 労働運動の高まりと労務管理の近代化要求を受けて、 企業は本社に専門部署を置く直接管理へ転換します。これが人事部の起源です。

注目すべきは、この時点で現代まで続く特徴が刻まれたことです。 研究では初期人事部の特徴として、(1) 事業部門より上位の権限を持つこと、 (2) 労使関係の安定化のために設置されたこと、(3) 分権的なライン管理の限界を克服する中央組織であったこと、が指摘されています。「事業部門より強い本社人事部」という日本的構図は、100年前の設計に由来するのです。

戦後 — 三種の神器と集権人事の完成

戦後の高度成長期に、日本的雇用の骨格が完成します。 米国の経営学者 James Abegglen は『日本の経営』(The Japanese Factory、1958年)で、 日本企業の特徴として終身雇用・年功序列・企業別組合の3つを分析・紹介しました。 この3慣行は、1972年のOECD対日労働報告書で「三種の神器」と呼ばれて広く定着したとされます(命名は当時の労働事務次官・松永正男に帰属するという説明が一般的です)。

三種の神器を前提とすると、人事部の機能は必然的に決まってきます。 終身雇用なら、新卒一括で採用し(採用)、ローテーションで長期育成し(育成・配置)、 年功と査定で処遇し(評価・報酬)、定年まで雇い切る(代謝の抑制)。従業員のキャリア全体に人事部が関与する集権型モデルです。 1969年に日経連が『能力主義管理』で提唱した職能資格制度(職務ではなく人の能力に等級を付ける)は、 このモデルの制度的な支柱となりました。ジョブではなくヒトに等級を付けるからこそ、 人事部は従業員をどの職務にも柔軟に異動させることができたのです。

動揺 — 雇用ポートフォリオと成果主義(1990s〜)

バブル崩壊が転換点になります。1995年、日経連は『新時代の「日本的経営」』で、 雇用を3つのグループに分ける雇用ポートフォリオを提言しました—— 長期蓄積能力活用型(従来型の正社員)、高度専門能力活用型(専門職)、雇用柔軟型(有期・パート)。 この提言は非正規雇用増加の契機になったと語られることが多いものの、 提言と非正規増の因果関係については研究上の検証が続いており、単純な因果として語るのは避けるべきです。 同時期に評価・報酬を成果に連動させる成果主義の導入が広がり、 年功による自動昇給を前提としてきた評価・報酬機能の再設計が始まりました。

現在 — ジョブ型と人事機能の再配置(2020年代)

2020年代の「ジョブ型」議論は、単なる制度流行ではなく機能マップの権限配置の転換です。 政府は2024年8月に内閣官房・経産省・厚労省の連名で「ジョブ型人事指針」を公表し、 導入済み20社(富士通・日立・ソニーグループ・メルカリ等)の事例を整理しました。 その中で繰り返し登場するのが、採用・配置・処遇の権限を本社人事部から事業部門(ライン)へ移譲し、 人事部はHRBP/CoE/シェアードサービスに再編するという共通パターンです(第6章で詳述)。 100年続いた「強い本社人事部」の構図が、いま構造的に見直されているのです。

テイラー 科学的管理法

職務分析・標準化・評価技法の祖型。米国。同時期の日本では明治後期〜大正期に人事部が誕生(間接管理→直接管理)。

ホーソン実験

Elton Mayoらが社会的・心理的要因の影響を発見。人間関係論の起点となり、後の組織開発・エンゲージメント機能の源流に。

Abegglen『日本の経営』

終身雇用・年功序列・企業別組合を日本的経営の特徴として分析。1972年のOECD対日報告書で「三種の神器」の呼称が定着。

日経連『能力主義管理』

職能資格制度を提唱。ヒト基準の等級制度が人事部の柔軟な異動権を支え、集権人事の制度的支柱に。

HRM概念の普及

「人的資源管理」という戦略的視点が広がる。人はコストではなく開発すべき資源へ。

ミシガンモデル/ハーバードモデル

採用→評価→報酬→育成のHRサイクル(ミシガン)と、ステークホルダー志向の統合モデル(ハーバード)が同年に刊行。機能マップの理論的原型。

日経連『新時代の「日本的経営」』

雇用ポートフォリオ3類型を提言。成果主義の導入が広がり、年功前提の評価・報酬機能の再設計が始まる。

Ulrich『Human Resource Champions』

HR4役割モデル。人事を戦略パートナーとして再定義し、後の3ピラー(HRBP/CoE/SS)組織の思想的基盤に。

ジョブ型と権限再配置

富士通(2020)・日立などがジョブ型移行。2024年8月に政府「ジョブ型人事指針」が20社の事例を公表。人事部からラインへの権限移譲が進む。

なぜ日本では「配置」と「代謝」が独立機能なのか

ここで第1章の疑問に答えが出せます。ミシガンモデルの4機能(選抜・評価・報酬・育成)に対して、 日本の6機能論には「配置」と「代謝」が追加されている——この差は偶然ではなく、雇用システムの構造差の帰結です。

観点欧米(ジョブ型)日本(メンバーシップ型)
雇用契約の単位職務(ジョブ)に人を割り当てる。職務が消えれば雇用も終わる組織のメンバーとして雇い、職務は後から割り当てる
配置・異動の権限空きポストへの社内公募が基本。マネージャーと本人の合意人事部が定期異動・ローテーションを主導する強い人事権
退職・解雇随意雇用(米国)や整理解雇の金銭解決など、外部労働市場での調整解雇権濫用法理の下、解雇は最終手段。退職勧奨・出向・転籍・早期退職優遇など計画的な「代謝」管理が必要
機能マップへの帰結配置はマネージャーの仕事、代謝は市場の仕事。人事の中核4機能に含まれない配置と代謝が人事部の中核機能として独立する

メンバーシップ型では、ジョブと人の対応を決めるのは市場ではなく人事部です。 だから「配置」が中央集権的な機能として存在します。 また解雇が厳しく制限される日本では、人員調整を解雇以外の手段(配置転換・出向・希望退職)で行う必要があり、 「代謝」を計画的にマネジメントする機能が発達しました。機能マップは普遍的な設計図ではなく、法制度と労働市場という実行環境に依存した実装なのです。

現代日本の人事部 — 認識と実行のギャップ

歴史の最後に、現在の日本の人事部が抱える構造課題に触れておきます。 リクルートワークス研究所の人材マネジメント調査(2001〜2017年)によれば、 「次世代リーダーの育成」は(2007年を除き)一貫して人事課題の首位であり続けました。 にもかかわらず、タレントマネジメントシステムは63.5%が未導入、 それを重要と認識している企業ですら56.1%が未導入という、認識と実行の大きな乖離があります。

背景として指摘されるのは、(1) 組織の慣性、(2) 「働き方改革」「採用強化」など即効性のある課題を優先する短期志向、 (3) 施策を導入しても成果につながりにくい複雑性、の3点です。機能マップは描けても、マップ通りにリソースを配分できるとは限らない—— この「戦略人事の掛け声と実態の乖離」は、第6章(組織モデル)と第8章(人的資本経営)で再び登場する伏線です。

理解度チェック

問題 0 / 50%
Q1

「採用(選抜)→評価→報酬→育成」という人事機能のサイクルを1984年に定式化し、機能分解の直接の原型となったモデルはどれですか?

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