三本柱の前提にある「雇用システムの選択」
ここまでの5章で、等級・評価・報酬という三本柱をそれぞれ分解してきました。 しかし、その設計にはさらに上位の前提があります。そもそも自社は「職務」に人を割り当てる会社なのか、「メンバー」に仕事を割り当てる会社なのかという選択です。 この前提が変われば、等級の基準軸も、評価の対象も、報酬の決まり方も連鎖的に変わります。
この選択を語る語彙がジョブ型(job-based employment)とメンバーシップ型(membership-based employment)です。 ところが、この用語対は日本の人事論議のなかで最も誤解されている概念でもあります。 本章では、まず原義に戻り、次に誤解を整理し、最後に企業が実際に到達した「現実解」をデータで確認します。
濱口桂一郎の原義 — 就職か、就社か
この用語対を作ったのは労働政策研究・研修機構(JILPT)の濱口桂一郎氏で、 2009年の『新しい労働社会』が出発点です。原義はきわめてシンプルです。
- ジョブ型: 先に職務(ジョブ)が存在し、そこに人をはめ込む。 雇用契約の中身は「この職務を遂行すること」であり、職務がなくなれば雇用の根拠も消える。
- メンバーシップ型: 先に人を組織のメンバーとして受け入れ、 その人にその時々の仕事をあてがう。契約の中身は特定の職務ではなく「メンバーであること」。
この違いを日本語の日常語で言い当てたのが「就職か就社か」という対比です。 新卒一括採用で職種未定のまま入社し、配属も異動も会社が決める——これは職に就いたのではなく社に就いた、 つまりメンバーシップ型の典型です。
graph TB
subgraph job[ジョブ型 職務に人をはめ込む]
J1[職務を定義する] --> J2[空いた職務を公募する]
J2 --> J3[要件に合う人を当てはめる]
J3 --> J4[職務が消えれば雇用の根拠も消える]
end
subgraph mem[メンバーシップ型 人に仕事をあてがう]
M1[人をメンバーとして採用する] --> M2[会社がその時々の仕事を割り当てる]
M2 --> M3[配置転換で仕事を変える]
M3 --> M4[仕事が消えても雇用は続く]
end
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style J3 fill:#3b82f6,stroke:#1d4ed8,color:#fff
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style M3 fill:#10b981,stroke:#059669,color:#fff
style M4 fill:#f97316,stroke:#ea580c,color:#fff法制史的にも両者の性格は異なります。ジョブ型の雇用契約は特定の労務の賃貸借に近い——売り買いされるのは「この職務の遂行」という限定された労働力です。 対してメンバーシップ型は身分契約的な性格を帯びます。 会社という共同体の一員としての地位を得る代わりに、職務内容・勤務地・労働時間について広い包括的な指示権を会社に委ねる。 日本の解雇規制の厳しさ(雇用は守るが配置は会社が決める)と、無限定な転勤・異動の慣行が同じコインの裏表であるのは、 この契約構造から導かれます。
「ジョブ型=成果主義」ではない — 命名者本人の否認
ここが最重要のポイントです。濱口氏本人が「ジョブ型は成果主義を意味しない」と明言しています。 理由は拍子抜けするほど単純で、世の中の大多数のジョブは、定められた職務を遂行できていれば定められた賃金を払うだけのものだからです。 レジ係にも、経理担当にも、保守エンジニアにも「ジョブ」はありますが、 そこに個人の成果に応じた変動報酬が組み込まれているとは限りません。
つまりジョブ型とは雇用契約と労働市場の型の話であり、 第4章・第5章で見た評価・報酬の思想(成果主義かどうか、Pay for Performanceをどれだけ効かせるか)とは論理的に独立した別の軸です。この2つを混同すると、 「ジョブ型を入れたのに賃下げできない」「ジョブ型なのに評価差がつかない」といった、 そもそも前提が誤っている不満が生まれます。
誤解の3類型 — 鶴光太郎の整理
経済学者の鶴光太郎氏(慶應義塾大学、RIETI)は、日本のジョブ型論議に蔓延する誤解を3つに整理しています。
| よくある主張 | なぜ誤りか | 本質はどこにあるか |
|---|---|---|
| 職務記述書(JD)を整備すればジョブ型になる | JDは職務を文書化した成果物にすぎず、それだけでは人と職務の結びつけ方は変わらない | 空いた職務を公募し、応募・選抜で埋める「公募(ポスティング)の仕組み」が本質 |
| ジョブ型とは成果主義のことである | 多くのジョブは職務を遂行できていれば定められた賃金を払うだけで、成果連動を含意しない(濱口本人も明言) | 雇用契約の型と報酬の決め方は独立した軸。混同すると制度目的がぶれる |
| テレワークを本格導入するにはジョブ型が必要だ | 職務が明確でなくても遠隔での成果管理は可能であり、両者に論理的必然性はない | テレワークの課題はマネジメント手法と評価の観測可能性であって、雇用システムの型ではない |
第1の誤解がとくに罪深いのは、JDの整備という「作業」がゴールにすり替わる点です。 数百種類のJDを作り上げても、配属も異動も従来どおり人事部の一括判断で決まるなら、 雇用システムとしては何も変わっていません。人と職務のマッチング機構、つまり社内公募が動き始めて初めて、 原義のジョブ型に一歩近づきます。
なお濱口氏自身は近年、ジョブ型とメンバーシップ型という二分法での論争そのものを「不毛」と評し、 職業能力が企業を越えて通用するギルド的メンバーシップ型—— 職種・職能のコミュニティに帰属しながら企業を移動できる姿——を第三の道として模索しています。 命名者が二分法から離れつつあること自体が、この対概念の使い方を示唆しています。
政府「ジョブ型人事指針」— 20社の実像
2024年8月28日、内閣官房・経済産業省・厚生労働省が連名で「ジョブ型人事指針」を公表しました。 これは「三位一体の労働市場改革」(リスキリング/ジョブ型人事の導入/成長分野への円滑な労働移動)の 第2の柱に対応する文書です。
この指針の性質は重要です。政府は統一モデルを提示していません。 代わりに導入済み20社の事例を共通フォーマットで並べ、各社が置かれた条件のもとで何を選んだかを開示させています。 共通フォーマットは、①導入目的と経営戦略上の位置付け、②制度の骨格(導入範囲・等級・報酬・評価)、 ③雇用管理制度(採用・異動・キャリア自律)、④人事部と各部署の権限分掌、 ⑤労使コミュニケーションを含む導入プロセスの5項目です。
掲載20社は、富士通、日立製作所、アフラック、パナソニック コネクト、レゾナック、ソニーグループ、 オムロン、中外製薬、KDDI、三菱マテリアル、資生堂、リコー、テルモ、オリンパス、ENEOS、ライオン、 三井化学、三菱UFJ信託銀行、東洋合成工業、メルカリ。 製造業からスタートアップ出身企業まで幅があり、「ジョブ型」の中身が各社で相当に異なることが、 同じフォーマットで並べられたことで逆に浮かび上がります。
企業の現実解 — 富士通・日立・KDDI・資生堂・NTT
指針や各社の公開情報から、代表的な実装を並べてみます。
| 企業 | 導入の範囲と時期 | 制度の骨格と特徴 |
|---|---|---|
| 富士通 | 2020年に管理職約1.5万人 → 2022年に一般社員約4.5万人へ拡大 | Global Role Framework(職種×等級、Lv7〜SVP)。650個のRole Profileを用意し約2か月で1.5万人分のJDを整備。Lv12以上の管理職はレンジのないシングルレート。高度専門職(セキュリティ・データサイエンス・AI)は基本給+専門性加算の別建て |
| 日立製作所 | 2021年に管理職のJD整備 → 2022年7月に国内一般社員約2万人へ | JDは約450種類。グローバル共通のグレード体系を軸に、キャリア入社を10年で約6倍に拡大 |
| KDDI | 2020年8月から「KDDI版ジョブ型」 | 153のジョブを定義し、成果に加えて「人間力」も評価対象に残す折衷型。プロ人材比率35%、39歳以下の管理職が増加 |
| 資生堂 | 2015年に管理職 → 2021年に一般社員約3,800人 | 自社で「和洋折衷型」と説明。職務基準を導入しつつ日本的な育成・異動の要素を意図的に残す |
| NTT | 専門分野別のグレード体系を導入 | 18の専門分野を設定し、最短で入社6年目に管理職登用が可能。新卒給与を14%引上げ |
この一覧から読み取れる共通点は3つあります。第一にいずれも段階導入で、 管理職から始めて数年かけて一般社員に広げています。第二に純粋なジョブ型はどこにもない—— KDDIの人間力評価、資生堂の自称「和洋折衷型」のように、日本的要素を意図的に残しています。 第三に、制度の骨格より人材フローの変化のほうが実質的だという点です。
富士通の数字がそれを端的に示します。社内公募(ポスティング)は2020年から2023年までで応募が延べ約2.7万人、実際の異動が9,500人以上。 2023年度の経験者採用は1,083名で新卒採用1,037名を上回り、入口の主役が入れ替わりました。 さらに2026年4月入社から一律の初任給を廃止し、役職定年も廃止して パフォーマンスに基づくポストオフへ切り替えています。 一方で退職率は導入前後で変わっていないと説明されており、 「ジョブ型にすると人が流出する」という懸念が自動的には現実化しないことも示唆されます。
データで見る現実 — 導入率21.8%と反対47.2%の同時進行
先進事例だけを見ると潮流が決したように見えますが、母集団を広げると様相が変わります。 人材紹介のJAC Recruitmentによる2025年のジョブ型実態調査では、 導入率は全体で21.8%(前年調査19.8%)、従業員1,000人以上の企業では36.0%(前年調査29.5%)でした。 大企業では3社に1社を超えた一方、全体では5社に1社という水準にとどまります。
さらに注目すべきは、同じ調査でジョブ型に反対する回答が47.2%(前年調査36.2%)へ増加している点です。 導入率と反対率が同時に上がる——つまり実際に運用してみた結果としての揺り戻しが起きています。
ジョブ型の導入率と反対率(JAC Recruitment実態調査2025年・単位%)
同調査で挙げられた課題の上位3つは、いずれもメンバーシップ型の長所の裏返しです。
- 成果を出すプレッシャーが強まる(62.7%) — 職務が明確になるほど、達成の可否も明確になります
- 職務以外のスキルを習得しにくい(61.7%) — 幅広い経験を積ませる日本的育成の機能が弱まります
- 異動・配置転換の設計が難しい(60.7%) — 会社主導の包括的な配置権と、職務の限定は原理的に衝突します
法が追いついてきた — 職務限定合意という論点
ジョブ型を「制度の話」だと思っていると足元をすくわれるのが、法的な帰結です。滋賀県社会福祉協議会事件の最高裁判決(2024年4月26日)は、 労働者と使用者の間に職種を限定する合意があった場合、 使用者は個別の同意なしに他職種への配置転換を命じられない、という判断を示しました。
ジョブ型を進めて職務の範囲を明文化していくことは、会社側の配置転換命令権を自ら狭める可能性を伴います。 雇用を守る代わりに広い配置権を持つ、というメンバーシップ型の取引条件を、片側だけ手放すことになりかねません。 この判例と不利益変更の法理は第7章で本格的に扱います (なお法規制の記述は2026年7月時点のもので、実務判断は社会保険労務士・弁護士への確認を推奨します)。
エンジニア視点 — 型システムとアーキテクチャのトレードオフ
この二項対立を、エンジニアの道具立てで捉え直すと見通しがよくなります。
実務的な含意は明確です。「どちらの型か」を決めるより、 どの階層・どの職種にどれだけ強い型付けを適用するかを決めるほうが生産的です。 実際に企業がやっているのはまさにそれで、管理職や高度専門職には強い型(ジョブ型)を、 若手や汎用職には弱い型(メンバーシップ型的な育成配置)を残す、という段階的・部分的な型付けです。 TypeScriptを既存のJavaScriptコードベースに段階導入するときの、あの判断と同じ構造をしています。
理解度チェック
濱口桂一郎によるジョブ型/メンバーシップ型の原義の説明として最も適切なものはどれですか?
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